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「原爆翌日の長崎」新たな写真、地面から煙立ち上る爆心地付近…山端庸介氏撮影か

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1. 匿名@ガールズちゃんねる

http://www.yomiuri.co.jp/national/20230807-OYT1T50380/
写真は、長崎に進駐した米海兵隊の通訳などを務めた日本人男性が米軍人から譲り受けたもの。散乱するがれきや国鉄の線路、倒れかけた電柱などが収められ、中央奥の丘の上には爆心地から約500メートルの城山国民学校が写っている。
山端氏は被爆後の長崎を最も早く撮ったとされる。本人の手記などによると、他の西部軍報道部員とともに45年8月10日午前3時頃、長崎市北部の道ノ尾駅に到着。南部の長崎地区憲兵隊本部に向かった後、北上しながらシャッターを切り、午後に長崎を離れた。

城山国民学校は、在籍していた児童約1500人のうち約1400人が自宅などで命を落とし、被爆校舎は国史跡に指定された。資料館によると、これまでは気象学者の藤田哲也氏(1920~98年)が45年8月20~24日に撮影し、倒壊前の南校舎が写る1枚が最も投下日に近いとされてきた。
今回の写真はそれより投下日に近く、長崎市被爆継承課の伊福伸弘課長は「学校がどのように変わっていったかの分析に役立つ。資料的価値は高い」と話す。国史跡に関する新たな資料として、文化庁にも説明する方針。
2023/08/08(火) 19:49:58
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Source: ガールズレポート

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